0912月
12/6
鶏ハム完成。さいの目に切って、チャーハンの具にしてみたら、意外と淡白な味。塩抜きは一日も要らなかったかもしれない。でも、塩味は薄いけれど、まさにハムという感じの味で、これはわりと重宝するんじゃないかなと思う。梅肉ソースをかけたら、お酒の肴にもなりそう。ムネ肉はいつも安いし、手順も簡単手軽だし、今度大量に作ろうかな。
12/8
昨日は二週間ブランデーに漬けていたドライミックスフルーツを使って、パウンドケーキを焼いた。180度で25分。しかしこれじゃ焼き時間が足りなかったみたいで、一部が生焼け状態だった。それ以外は、焼いたあとに刷毛を使って表面にブランデーを塗ったのでしっとりしていて、味も染みていて美味しかった。今度はもう少し焼き時間を長くして、美味しいパウンドケーキを焼こう。今朝はチーズフランスを焼く予定。余裕があれば、ポテトサラダフランスも。
読みかけのまま一年放置していた『フロスト気質』をこの前から読んでいて、ようやく昨日下巻に突入した。フロスト警部が好きなのに、どうして放置するかなあ。短編の『夜明けのフロスト』も全部読んでいないし。興味がその時々でどんどん他に移っていくので、たぶん全部読み終わらないうちにそのまま本棚にしまわれてしまったのだな。あと、原書版の『frost at christmas』は今年中に読み終えるのは無理。今年始めに購入したときは、一年で読み終えることを目標にしていたのに…。すっかり色々な事にかまけて、時々しかリーダーズ辞典とノートも開かなくなっていた。私の決意なんてこんなものか。来年こそは読み終えたいところだけど。
0610月
図書館に行って、色々物色。ディックを借りようかなと思ったけど、小説と言う気分では全然ないと気がつき、科学の棚にて『自然界における左と右』と『自分の体で実験したい 命がけの科学者列伝』というなにやら面白そうな本を二冊借りてきた。自分の体で…を途中まで読んだところで、『歓びを歌にのせて』という映画を観る。ああ…、何度観ても、ぼろぼろと泣いてしまう、本当に素晴らしい映画。俳優一人ひとりが素晴らしい演技をしていて、観るたびに発見があって面白い。一匹狼的な生き方を好む私だけれど、和気藹々と大勢で合唱し、皆でテーブルクロスを敷きお茶やお菓子を用意して楽しむコーヒータイムも、それぞれ楽器を持ち寄ったダンスシーンも楽しそうで、思わず自分もその輪に入りたくなる。ところで冒頭のオーケストラのシーンを見ていつも思うのだけれど、一度で良いからオーケストラの演奏を目の前で聴いてみたい。圧倒的な大音量のシャワーをわっと全身で浴びるなんて、考えるだけでぞくぞくする。
十代の頃は妻子ある人、彼女がいる人としか付き合った経験がほとんど無かったものだから、長いことそれを基準にしか物事を考えてこなかったけれど、今日さんまさんの番組で自分の旦那と旦那の愛人とが歩いている所にばったり出くわしてしまったという話を見て、初めて、不倫される側、浮気される側というものを「えー、どうしようー」なんて冗談っぽくではなく、あくまで現実的に自分がなりうる事として考えてしまった。自分の愛する旦那様が他の女を連れて歩いているのを見たら、それはショックな事このうえないけれど、私だったらその場でどういう態度を取るだろうか。摑みかかる。昔ならともかく小心者だから無いわ。特に気にしない風を装う。これも無いな。そうだな、私だったら、気づかない振りをして通り過ぎるかもしれない。お前絶対気がついてるだろう、という状況でも、無理やり通り過ぎて、そうして一人で静かなところで、悶々と、ああどうしようどうすべきだろうと悩み、旦那様の出方を待つかもしれない。でも、すべては想像するしかなくて、実際に自分がどんな行動を取るかなんてまったく分からない。考えうる限りで、これまで浮気をされたことは一度も無いから。
それで、ふと思い出した事がある、これまで何度か日記に書いた、唯一修羅場になった十代のときの不倫だ。不倫相手の奥さんとも電話で話した事があるし、会った事もある。特に取り乱すことも無かったオトナな態度の奥さんに嫉妬して、私はずっと寧ろ私のほうが被害者的な立場、可哀想な女だと思っていたのだけれど、あの時の奥さんの気持ちを考えたら、初めて、すこし申し訳なくなった。というか、十年経って、今さら分かるのかよ、という話なのだけど、本当に、十年経ってようやく分かったのだ。私は、そんな女なのだ。これに限らず、最近分かりかけてきた色々な事があるのだけれど、まあそんな話は置いておいて、想像したのです。あの時の、旦那の浮気を知った奥さんの心境を。
ある日自宅の電話に「○○さんとお付き合いしています●●ですけれど」と馬鹿そうな若い女から突然電話がかかってきて、旦那を問い詰めてみれば、確かに俺は浮気をしていたでも向こうが俺をそそのかしたんだから俺は悪くないしそれにもうあいつとの付き合いは止める、その証拠にこれからあいつのマンションに行こう、と旦那に言われ、気が進まないながらも旦那と二人で旦那の愛人のマンションに行ってみれば、一階のロビーに出てきた愛人が「別れるくらいなら死んでやる」と取り乱していて、なんか見た事のある顔だなと思って記憶を探ったら、最近旦那から「美容師のタマゴ用のモニターを探してたでしょ。彼女、俺の友達だから」と紹介された子だと思い出し、まあそれはともかく、死なれちゃ気持ち悪いよと思い「こんなに真剣に付き合っている男の人が目の前にいるのに、よく言えるねそんな言葉」と反対になだめてあげて、旦那といえばどんな態度に出るかと思って後ろから見ていれば、愛人が立っている横の郵便受けに思い切り蹴りを入れてへこませて「お前のせいで、俺の家庭は滅茶苦茶だよ」と愛人を責めているし、それだけでも気が滅入るけれどこんな公共の場で三人こんな事をしていても仕方ないし、かといって愛人の部屋に入ったり、どこかの喫茶店に入る気もないから「とりあえず家に来て、お茶でも飲みながら三人でゆっくり話そうよ」と旦那と愛人に提案をしてあげ、後ろに愛人、運転は自分、助手席に旦那を乗せて自分の自宅に向かうものの、向かっている途中で、へらへらと旦那は「稲妻光ってるねえ。ほらまた光った」とのん気に笑い、自宅前に着いたかと思えば、愛人が「やっぱり私、奥さんと一緒の場に居たくないので帰ります」と言い出し、旦那が「ちゃんと別れ話をしてくるから」と言って消え、そのまま旦那、翌朝まで帰らず、
と…こんな事がいきなり、あの奥さんに十年前に実際に起こったわけで。取り乱すどころか、そりゃあ妙に冷めますわな、と、想像をしていて実感した。だからといって、今さら別にあの奥さんに対して罪の意識などは無い。不倫や浮気をことさら悪いこととしたいんじゃない。そういう話をしたいんじゃない。ただ、自分とは逆の立場、というものを最近よく想像し、真実が見えてきている事が多々あって、私みたいな阿呆な人間でも、分かる時が来るんだ、分かる時が来たんだ、と、妙に時間の流れを感じたという事を言いたかったのだった(長い)。だって、本当に今までの大半の人生、自分の事しか考えてこなかったし、自分が一番可愛かったし、相手のことを考えるなんてことさえ考えもしなかった。考えた気になっていただけなのだ。
269月
朝は、チョコチップクッキーを焼いた。結構甘めになってしまった。今度はもう少し糖分控えめにしよう。
ピッキングの他に入庫作業時の検品もしていて、今日はある運送会社により運び込まれたある店舗の分が12台かそれぐらいあって、個数表を眺めながら、一台のカゴに積み込まれている商品数の合計があっているかどうかの計算に難儀していたら(たくさんの数字を一度に見たら思考停止状態になる)、カゴを運び終えた専門のドライバーさんたちが、ケータイの電卓でぽちぽち計算してくれた。それはとてもありがたかったのだけれど、三人ぐらい同時に「俺もやる」「俺もやろ」「三人の数字がバラバラだったらウケる」とそれぞれのケータイで計算してくれている周りでわらわらと他のドライバーさんたちのギャラリーがいたものだから、その状況が申し訳なかったけれど、なんだか可笑しかった。良い人たちだ。
日が暮れるのが早くなってきている。仕事帰りに、切らしていた強力粉とドライイースト、それに今日が誕生日の彼氏にサッポロ生ビールとサラミ、それと紙製のシフォン型を買いに近所のスーパーへ行ったのだけれど、20分ほどで買い物を終えて外へ出たら、さっきまで西の空がオレンジ色に染まって良い具合だったのにもう暗くなっていた。早いなあ。一日一日も経つのが早いし。この分じゃ、年末まで駆け足のような気がしないでもない。
ジョージ・オーウェルの『動物農場』の中に入っている『馬を射る』を少しずつ読んでいる。読書欲は、波に乗るまでが長い。それまではなかなか集中力が続かないんだ。ああ、ちょっと眠いけど(今現在20:40)、武の映画観たいなあ。なんでもいいから。観ようかな。
ピチットシートが到着! 自家製ハム用の豚モモブロックを解凍し始める。
059月
今朝はココアクッキーを焼く。このクッキーの場合は、180℃で18分焼きがベストらしい。それぞれのレンジで癖があるから、まだまだ分かっていない私は初心者。
『動物農場』を読了。なかなか後味の悪い終わり方だった。どういう話かと言うと、ある農場の老豚の予言により、人間たち(農場主や作男)からの解放に目覚めた動物たちが発起して、豚をリーダーに人間たちを農場から追い出し、自分たちで農場を経営するようになるのだけれど、豚が独裁者となって動物たちは解放前よりも生活が苦しくなっていく…というものなのね。自由の為に戦い勝ち取ったはずなのに、豚の上層部による巧みな話術や構築されていく社会によりどんどん自由が奪われていく。『1984年』にも出てきたけれど、記憶の上塗りがこの寓話でも使われていた。例えば、今まで白は白であると誰もが思っていた揺るぎ難い事実が、「この色は黒である」という独裁者の一言により今日から黒という色になる。どの歴史書を開いても昔から白は黒であると書いてあり(矛盾が起こらないように、というより人民に、この寓話では豚以外の動物たちを騙す為にすぐさま完璧に書き替えられる)、白は確かに白であるという絶対だと思っていた自分の記憶さえ、証拠が無い事であやふやになっていく…こういうの事が何度も何度も繰り返されて、独裁者の都合の良いように搾取され操られていく…怖いなあと思った。今の世界にこういう事は果たして可能なのだろうかと考えた。インターネットがあるけれど、このツールだって絶対的な規制の対象になれば、段階を踏んで、個人が好きなように受信・発信は出来なくなり、そのうち政府の都合の良い情報しか受け取れなくなる可能性があるのかもしれない。『1984年』のテレスクリーンのように(党員の各家庭に一台ずつ取り付けられた受信・発信(盗聴)が同時に行われるスクリーン。党員を完璧な管理下・監視下に置く事が出来る)。『1984年』も『動物農場』も怖いなあと思うけれど、面白いなあと思う。そんな世界に住みたくはないけれど、そのうち本当に現実もそんな世界になっちゃったりして。
戦争は平和である/自由は隷従である/無知は力である
とは『1984年』の本の世界に出てくる独裁党のスローガン。映画を観てこの言葉を聞いた時、じっとり怖くなったなあ。
288月
オーウェルの『1984年』を読み終えたので、昨日届いた同作者の『動物農場』を読み始める。
夏らしい夏の暑さの日も一週間と続くことなく、どうやらこのまま秋に向かう気配。いつもの年に比べて夏が短いのは気のせい?
9月の連休の休み希望の件について、色々話しを聞いているのだけれど、「神経が図太いを通り越して、人間としていかがなものか」と思ってしまった。GWもお盆も、連休まるまるに希望を平気で出す人たちがいて(決まって同じ人たち)、このままでは休みたい人が集中してしまい仕事が滞るというので、良識のある人は休みを平日にずらしたりしてきたというのに、そして私も一日ぐらい休みたかったのだけど出勤者が少ないってんで平日にずらし、だけどそういう神経の太い人たちは特にそれに気後れするわけでもなく、ずらすわけでもなく、また平気で来月の連休をまとめて休み希望にしているらしい。もちろんそれが通るわけもなく、平等にシフトが決められるらしいのだけれど、ああ本当に、遠慮を知らない人間にはなるまいと思った。年をとればとるほど、図太くなるもの?いや、それは人によるはず。ともかく、そういう人たちは、私の中では全く理解のできないイキモノだ。怖いね。すごい、怖い。