昨日出勤途中で転んで(江頭2:50みたいに横転び)、思いきり左膝を打った。痣が出来た。一日経った今も痛い。転んだ場所は少し斜面になっていて、そこは家の近くのコンビニなのだけれど、凍結している時に私は大抵ここで転ぶ。いつもいつも気をつけているのに、なんだか昨日は気分が浮ついていたのだ。学ばない女だ。
朝、昨日の夕刊をパラパラめくっていたら、『Dr.パルナサスの鏡』についてテリー・ギリアム監督が語っている記事を見つけたので切り取り、例の真っ白な本に貼る事にした。そのままの記事の大きさでは本には貼れないので、定規を使って小さく記事を分けた。監督の写真も貼って。良い感じのレイアウトになった。何度も見返す。
この本も、2004年から始めたから、実に6年分の情報量となっている。映画の半券、行った先々のパンフや新聞記事の切り抜き、本の帯、手紙、プリクラ、写真、バオバブの木のポストカード集など、様々なものを貼り付けたり挟んでいるので、本の厚みもかなりのもの(何度も書いていると思うけれど、映画『イングリッシュ・ペイシェント』で記憶を無くし重度の火傷を負った主人公〔レイフ・ファインズ〕が持っていた、手紙や写真が挟み込まれたボロボロの本に憧れて)。カバーも黄ばみ、外側は少しボロボロになっている。しかしそれでも、「まだ」、本の半分も満たしていない。このペースじゃ、あと10年の情報も軽くこの本に収まり、それでもまだなおページに余裕があるんじゃないだろうか。で、結局自分だけの情報ではまだまだ空白ページがあるから、私が死んだ後に手に渡る人、彼氏だったり、旦那さまだったり、子供なりが今度は色々なものを貼り付けて受け継いでいったりするかも。人の歴史を刻んでいく手作りの本。他人から見れば価値の無いただのゴミかもしれないけれど、そういうのも面白そうだ。
でも私はその他人のゴミが、意外と好きなのかもしれない。何年か前にも書いたけれど、日付だけ印刷されたマイブックという白い本を古本屋で見つけたことがある。中には、何日か分の日記が綴られていた。字面や文章の感じからして、おそらく中年の男性。今日は天気が良いからどこどこへ行こうとか、家族のことなど、ごくごく平凡な事が書かれていたような気がする。まさか実際に書き込まれているものが売られているなんて思わないから、偶然見つけてしまった私は、読んではいけないと思いつつ、顔も知らないまったく赤の他人の人生を覗き込んだようなどこか甘い感じ、映画か小説のような感じに浸って、その日記を読んでいた。この日記を書いた人はもう死んでしまって、書棚から大量の本が家族によってダンボール箱に詰められ、古本屋に売られ、中をよく確かめもせず店員によって本棚に並べられたのかしら、と、よく想像したものだ。これを書いた人に逢ってみたい、とも思った。このまま不特定多数の客の目に触れさせるには忍びない、いっそ私が買おうかとさえ考えた。それから何度か来店したが、いつのまにかそのマイブックは消えていた。残念に思う。
夕食後は、明日の朝一番に焼くパンプキンパイの仕込みを始める。手間と時間はかかるが、パイ生地を習得してからは自家製パイの評判が良い、自分で言うのもなんだけれど、私が作る自家製モノでは上位に入る美味しいお菓子。
